「英語を学べばバカになる」を読んで

 薬師院仁志著「英語を学べばバカになる」光文社文庫を読んだ。この本は1年位前に読み終わって本棚に置いていたが、何が書いてあったか完全に忘れていたので、この度、再度読んだ。この本には日本にとって非常に重要な事が書かれていると思う。

 これまで私の随筆で“欧米”と言う言葉で白人を批判してきたが、厳密に言うと白人全般を批判している部分と“米”、即ち、アメリカを批判している部分がある。これまでその区別が曖昧であったが、この本を読むと欧と米の違いが鮮明に分かる。因みにこの本の副題は“グローバル思考という妄想”です。

 この本の要旨は、概ね以下のようなものです。
@英語は国際共通語でも世界標準でもない。

A外国語としての英語一極集中の弊害で、アメリカの常識があたかも世界の常識のごとく勘違いされている。英語を母語とするアメリカが世界の超大国になったから日本では英語一極集中しているが、ヨーロッパから見るとアメリカは特殊な国であり、日本で考えるほど影響力は大きくない

B人口の少ないスウェーデンやフィンランド、ノルウェー、オランダ等の国々では、母語だけでは伝達される情報量が少ないために外国語の通用度が高いが、日本は人口も多く、外国語の必要性は低い

Cグローバル化はアメリカの覇権主義に他ならない。英語を学ぶことは特殊な国アメリカの情報のみに目を向ける危険性がある。

 この本で参考になったのは、アメリカとヨーロッパの国々が全く異なったものであることを教えてくれたことである。それを項目ごとに表にあらわすと概ね以下のようになります。

アメリカ ヨーロッパ
民主主義の
考え方
各自が自由に振舞うことを最も重視する。
国家支配からの自由こそ、何ものにも代えがたい基本的
人権であり、その為に憲法にも「してはならない」等の表
現で国家に対する禁止事項が並べられている。
国家が基本的人権の保障者であり、責任者。
因みに日本国憲法も同様。
裁判制度 下からの民主主義を基本とするため、国家のような上の
者(裁判官)が判断するのではなく、多数の一般人の合意
による集団決定による陪審員制を採用。
一般人からなる参審員と専門の裁判官との合
議体制の参審制が主流。
コミュニティー 国家を基礎とした公的な連帯は弱く、自発的に組織された
コミュニティーを基本単位にして存在。
国家の庇護を当にしない以上、集団で自分達の意見や立
場を声高に発信して、居場所を確保。
人種、貧富、宗派等で住み分け
地方や地域は、国家の下に置かれることが原
則。地方自治体の権限も国家によって上から
与えられる。コミュニティー意識によって国民間
の利害対立や不平等が芽生えることを警戒。
ディベート
(討論)
常に主張や要求を発信し続けなければ、自分達の権利が
確保できない。正しいか、否かではなく、相手を言い負かす
技術が要求される。
控えめな態度を取らず、自分を押し通し、自分の
考えを述べ、自分の気質をむき出しにするアメリ
カの姿は教育の欠如か非社会的行動と認識。
NPO 国家は国民生活の保障者ではなく、医療や福祉や教育と
いった公益もNPOの活動に依存する。社会サービスの多く
が私的な活動によって担われ、福祉の水準自体は低くない。
国家が公の担い手であり、一部の裕福な人間が
NPOに参加して、善意を振りかざす実態を問題
視。
宗教 伝統的にキリスト教信仰が強く、国民の90%以上が何らか
の宗教を信仰。キリスト教は85%。
アメリカ人の72%は人類の起源を進化論ではなく、
神が創造したと考えている
キリスト教の影響力は低下傾向。
ヨーロッパから見るとアメリカは特異かつ極端な
宗教国家。
教育 教育はサービス業。公立大でも年額費が平均9200ドル、私
立では23000ドルと高い。
教育は国家の制度。放っておけば社会の上層部
に独占される知識や文化を、国家が責任を持って
全ての国民に開放。

 要するにアメリカは新天地、アメリカ大陸に流れてきた人間達が、国家体制が整う前の無政府状態で生活、即ち、上から干渉されずに自治によって暮らした状態が現在でも基本的に続いているのである。

 一方、ヨーロッパでは国家が全てを管理しなければ、民族の問題等で国家が分裂する可能性も影響しているかもしれない。アメリカのほとんどの公立学校では、学校の朝礼で「忠誠の誓約」と言われる誓約を星条旗の前で行っているらしい。人種の坩堝のアメリカではそうでもしなければ、国家としての一体感が保てないからであろうが、多分、自民党や民主党の連中も近い将来にアメリカを見習って、日本でも日の丸に対して「忠誠の誓約」を全ての公立学校で実施させようと企てるだろう。何と言ってもアメリカがやってるんですから。アメリカは手本で全て正しいのですから。

 上の一覧表を見ると政治家達は日本をヨーロッパ方式からアメリカ方式に政治・社会体制を変えようとしていることが分かる。国家で管理する高福祉国家ではなく、自由放任の何でもありの体制へと。それを選択したのは、国民なのであるから、国民はその結果を甘んじて受けなければならない。

 小泉を一時期90%の人間が支持したと思う。今になって、こんなはずではなかったと言っても遅い。往生際が悪い。選挙民も結果に責任を持たねばならない。現在は戦前ではないのだから。

(2007年1月20日 記)

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